2004/5/4

過去の栄光に負けた男

だいぶん前の嫌な事件であった。ある日たまたまテレビを見ていたノンフィクションがあまりにひどい状況だったので書きとめておいた。
元天才的なレーサーだった24歳の男が両親の商売の失敗からお金に困り、レーサーを続けられなくなってしまった。そして 失意の中で配管工となって, 既に離婚した母親と自分の生活を支えていた。そんな時に知り合った19歳の女性と同棲し、彼女は妊娠する。最初のうちは 彼女の両親も仕方なく結婚を認めていたのだが 彼は昔の栄光と現在のギャップに耐えられず シンナーにおぼれていた。そして五ヶ月になった身重の彼女に暴力をふるうようになった。流石に暴力までふるわれると女性は我慢ができない。将来の生活にも不安を感じるようになった。結果 ついに実家のマンションに逃げ込むようになった。もはや男がシンナーを止められないと悟ると 実家の両親もこの結婚には反対するようになった。
 そんな時 男は自分の母を連れて 彼女の実家のマンションまで押し掛ける。復縁を迫ったのだろうか
玄関から受け入れられないとわかると 裏に廻って強引にアルミ格子をはがし、中に入ろうとした。悪い事にそばにいた男の母親は恐くなって逃げ出したという。格子をはずして部屋の中に入った男は彼女の父親 (49歳)の首を刺し 即死させると すぐ彼女の母親(48歳)の首にも切りつけ 同じように即死させた。最期にお腹の子を守ろうと抵抗を試みた彼女の心臓を一突きし 死に至らしめたのだ。そして自分の首を二ヶ所切って自殺した。なんともやりきれない事件である。
このような悲惨なストーリーにあって とても理解できないのは男の母親である。いつも一緒にいれば息子がシンナーを吸って危ないのは判るだろう。 何故 止めないのか
止めてもやめないかもしれないが それでも止めるべきである。場合によっては命を賭けても止めるべきである。息子のレーサーへの夢を奪ってはいけない。可能性を持たせ または別の夢を持たせるのが母親ではないか また、格子を破ろうとした息子を止めるか その時すぐ警察を呼ぶべきである。何故逃げるのだ。無責任ではないか。この無責任さが 弱い息子を造ったのだ。全てを逃げた彼女のせいにしたら駄目であると息子を説得しなくてはいけないのではないか。のこのこマンションまでついて行って 揚句のはて逃げ帰るとは何事だ。
それにしても人間にとって一番悲しいのは 過去の栄光にしがみつく事である。女性も気をつけて交際相手を選択しなければならない。過去が良かった人に限って今を絶望視して荒れる。人間のドラマはプラスマイナス ゼロ 谷深ければ山高し 山高ければ谷深し である。平凡な人生がもっとも普通であり、幸福かも知れないのだ。今が谷だと思うなら 自分の谷に人を引きずり込んではいけない。そしてコツコツと谷から地上へ そして山に向かって努力すれば 必ず上昇する。そしたらおのずと相手が向こうから来てくれる。 谷底にいる彼を支えるには彼女が猛女のように強くなくてはならないから 彼の生活態度は大変重要な選択のポイントとなる。過去の栄光に単におぼれている男性は 見栄っ張りで けっこう多い。.会社の経営にも同じ事が言えるから気をつけたいものである。

奥寺優子


2004/3/10

自分との戦いとは 自分を磨く事

経営者や管理者は よく言われる 「人は誉めて使え」と・・・
しかし これが 単純ではない。 営業で来る日も来る日も外回りしていて 全くキーマンのお客様に 会えないとすると 営業マンは この業界は難しいですねと こぼしがちになる そんな時頑張ってるんだから大丈夫と単純に誉めても 慰めにしかならない。 そこでちょっと木目細かく ルートで廻ってるのもいいけど たまには 絶対会えるアポを取って 一軒だけでもお客様とお話するチャンスを頂いたらと コメントする。 すると惰性で?本人はそのつもりではないがコースをぐるぐる廻っていた営業が 突然 図面を取ってくることがある。何か 雲の中に突入していた飛行機が 急に晴れやかな空に吹っ切れるような感じなのである。営業には単に誉めるだけではなく 的確なアドバイスが絶対に必要である。 そして 図面を頂いてきたら 思いきり誉めてやる事だ。
また 営業マンによくある弁解に 競争相手の彼のテリトリーは顧客の質がいいからというのがある。 自分のところは客層が悪いからというのである。 これなどは 自分が能力を買われて不採算部門を活性化させる為に担当にされたと思うべきである。あくまで自分の自己啓発をしなければならないのに 他人のせいにして他人と比較しては能力が落ちるだけである。人間 どんな時も自分との戦いである。 昨日の自分より今日の自分が勝っている事が大切な事である。 そうしているうちには立派な営業マンに成長し、本人が会社を辞めたくても会社が辞めさせない人財になるのである。

  昨今 発光ダイオートなどの発明で 個人の素晴らしい力量を当時の会社が それなりに認めず 裁判沙汰になっているケースがあるが しかしながら 個人の力を あくまで お金だけで判断するのは残念な傾向であると思う。 自分を磨くという事は人格も含めて全てを美しく磨くという意味である。確かに あまりに少ない評価であったのかもしれないが それは 他人が認める物であり 自分が自分の貢献はこの価格だと はたして言ってよいものであるか 私には理解できない。人は必ず死ぬものである。死ぬまで使えないような法外な金額を要求して はずかしくないのだろうか。

奥寺優子


2003/11/3

人間の価値 ハイレベルの人間とは

 長雨に目をそらした。雨を鬱に感じるのはきっと私の心がそうなのかと感じた。友人の人生の意味は何だと思いますかとの問いに即座に意味なんてないですよと答えてしまったのも私が応えられないからだと感じていた。光景の全ては心の鏡が映し出される。心はもてあまして扱いきれないうっとうしさがあるのだが 私の行動は反対である。常に挑戦的で前向きである。
さて 時間と戦いながら前向きに都度努力してきたつもりだが 今にして思うとまだまだ努力が足りなかったと感じるのである。若かりし頃 なんであんなに馬鹿な時間を費やしたのだろうか・・その時に目標を見つけて努力していればもっと今が楽だったはずだと・・反省ばかりの毎日である。
しかし、過ぎ去った日々を悔いても始まらないので やっと見つけた目標に今はコツコツと努力しはじめてはいる。
生きる意味はいまだに難しくて判らないが 人間の価値のものさしは判ってきた。それは自制心である。ありときりぎりすと比較されるが 蟻に比べてきりぎりすは自制心が無い人間を意味する。欲望のままに刹那に生きる人間はロウレベルの人間である。ハイレベルの人間は刹那の欲望を自制し、それが自分の人生にとってプラスになるかマイナスになるか選択して未来のためになる努力の選択をする。コツコツと努力をする選択は あるいは厳しいことかもしれない。
遊んで暮らすと楽だから 楽に走りたいのが人情である。
まして努力しても努力しても報われるとは限らない。むしろ報われる事はすぐにはありえない。そこで自制心が敗北してまた 楽な方にセットバックする。そこで並のレベルの人間になってしまうのだ。ハイレベルの人間は 努力を継続させる為に楽しみながら自制し、来る日も来る日も努力していく。
そして極限まで努力して はじめて成果 果実が頂けるのだ。これがハイレベルの人間である。ハイレベルの人間は故に謙虚である。そして選択が前向きである。それに比べてローレベルの人間は無意識にしているが怠惰な選択になりやすい。
例えば 朝 6時に目が醒めたとしよう。起きるか起きないかもう少し寝ようと選択する。そして洗濯を先にするか掃除を先にするかぼーっとするか選択するだろう。そして食事は何にするか選択し 洋服も選択して着るが安易な選択になりやすいのである。毎日毎日のことだからありとあらゆる選択をせざるをえない中で つい ま これでいいか なあんて事は多いはずだ。それは確たる目標の無いときには特にである。タバコは体に悪いが 吸いたい。お酒は度を越すと
これも体に悪いが飲みたい。朝はいつまでも寝ていたい。
細かい勉強はめんどうだ。 おいしいステーキを限りなく
食べたい。仕事はなるべく人にさせて 自分は楽にしたい。
洋服はだんだん中年太りで入らないが体質だから仕方ない。
リストラされると生活ができないから 仕方なく会社に向かうが 何だか仕事に興味が湧かない。第一上司にへつらうのも疲れた。自分で経営者の感覚で仕事するなど この給料で無理だと思う。などなど マイナス言葉の連続をイメージしている。いつお迎えが来るかわからないのに 楽しみを後回しにできるかと思う。
これらの選択のなん十年もの積み重ねが 一般的な人である。さて貴方はハイレベルの人間だろうか。

奥寺優子


2003/10/31

利巧な人はセットで物を考える 愚かな人は分解する

建築業界で感じた時短のノウハウは 分解しないということである。
それでなくても 伝言ミスの多い業界だけに ものごとをバラバラに考えると 余計に複雑になる。儲からないお客さまは 必ず 小賢しく分解していた。鍵を購入する時にマルコポさん もったいないから 鍵のシリンダーだけ注文してくださいと自分の作業場所にある在庫の1部を使おうとして中身のシリンダーだけ注文するのだ。こちらとしてもセットで如何ですかと一応申すのだが、いらないと言われたら 以前は引き下がって 言われるとおりに請けて弊社でセットで購入し シリンダーだけ分けてあげるというような サービス?をしたものである。当然少し割高になる。分解した価格の設定が無いときもあるので 在庫管理がややこしくなるし 残った鍵受けが売れるわけが無いのだ。つまり、考えて節約したつもりのお客様は施主から半端物を売りつけられた事がわかると 評判が落ちるし 仕入れ先も煩雑になっていやがるしという訳である。皆が損をするのに何故少しばかりの事をけちって分解するのだろう。
 また サッシの色を間違えた工務店様が それを他の現場に流用するという場合 枠は前の現場で 雨戸は次の現場で使うからとセット品をバラバラにする場合も同じである。セット製品はあくまでもセットで注文しなおす方がいい。一度バラバラにすると在庫管理が大変で 時間が経つと判らなくなってしまうからだ。弊社の現場の人間も私の目が届かないと時々やってしまうので その弊害をよくよく説明しなければ改善されない。以前それで雨戸が残ってしまい 傷ついて再度取りなおしたりしたからである。何よりも色を間違うというようなケアレスミスはどうしたら防げるのか考えたらいい。やはり発注は肝心なことは書面で行ないたいものだ。例えば A現場 色 ホワイト サッシ 図面のとうり とか 案外対面で打ち合わせをしても 肝心なミスが起きるのはなぜかを考察すると良い。FAXで記録されたものは間違いが起こりにくいのだ。
 トヨタのかんばん方式を参考にして 何故経営が改善されて良くなるかというと 全て時短なのである。徹底的に無駄をなくすのである。簡単な改善で歩く歩数が少なくなり、探し物がなくなるのである。たかが掃除、されど掃除なのである。私は常に掃除するようにと指導しているが なかなか上手くはやってくれない。さりとて重くて女性の自分ではなかなか できないことが多くそれが 一番のストレスとなる。まあ とにかく人様にお願いして仕事をやっていただくというのは大変な事である できることなら自分でやりたいが 自分の身はたった一つであるから どんなに頑張っても限界がある。 会社だって メンバーセットで考えなければならない。

奥寺優子


2003/9/18

最近考える事

メーカーの売り方には二つの手法がある。
一つは自助努力して核となる20パーセントの店に徹底的に価格を下げてパソコンで受注する。そしてパレートの法則にのっとって残りの80パーセントの販売店に対しては価格を上げて、売れても売れなくても良いというスタンスを取る。つまり シェアから脱却した利益主義の販売方法である。そしてもう一つは価格はそこそこ勝負して力のある販売店には集中的に人的作戦で攻めまくる。毎日毎日顔を出し、人件費をかけ、無駄も辞さない。そして販売店の問題解決を図りながら受注する。
さて、このどちらが勝負に勝つだろうか。
冷静に考えてみよう。通常の場合は 人的にサービスを受けた方が、お客は喜ぶものであるが、パソコン受注がメインの場合でも必要な場合には営業を呼べば来てくれる。クールに作業効率を考えた場合には、どちらかと言えば必要な時のみ呼べば来てくれる方が効率は良いはずであるが、建築屋さんは古い体質の所ほど、無駄に足を運んでくれる仕入れ先が嬉しいようである。
 私の考えでは、バランスをとれば良いという結論である。あまり頻繁に来訪されても、図面や情報のネタがなくては話にならないし、つまらない雑談は結果として無駄な事がある。さりとて価格が安いから訪問しなくても売れるはずだと思われても、それは違う。訪問は少なくても、せめて商品の得意分野を説明していただきたい。その事はその商品を売りたくなる動機付けになるからだ。営業は 他に無い製品を他に無いメリットを抱えて情熱的に販売しなければならない。自信と情熱があれば 90パーセント売れるのである。営業マンが高いレベルならば 商品は間違い無く売れる。
 カタログを宅急便や運送会社で運搬させ、価格は安くして営業はめったに来ないのでは何だか売る気があるのかないのか考えてしまう。リストラで営業マンが減少しているのは管理会計上は利益がアップするが、サービスを欲しがる一般の消費者には向いてないし、マクロ的に戦略会計の観点からみると自己資本比率は確実にアップするだろうが設備投資や人的投資は減少し、リスクをとって積極的に攻撃するという本来の企業の姿ではない。小さな政府みたいに、均衡縮小財政である。総合的に判断すると 不況の今だからこそ広告宣伝と人的投資をしたメーカーの手法が勝利を治めるであろう。加えて営業のメリハリは必要である。
今は全て戦略的営業でなければならない。漫然と廻っているだけでは駄目なのだ。強いて言えば、個別お客さま別独自営業戦略が必要である。他が真似できない営業で お客様本位である事に尽きる。

奥寺優子


2003/7/21

更年期障害に負けず自分を磨こう

最近、友人の経営者が ちょっとした事でも気分が落ち込んで元気がない。気力が不安定になり、あるときには,頑張るぞと奮起するのだが会社の利益が思うように行かないとすぐ不安に襲われる。長い間の取引先や友人から、貴男はいつも元気だねと言われるのだが、本当は違う。本当は自己の厳しい顔に仮面ペルソナをかぶって必死に元気を振り撒く。そうする事がまわりに元気そうに思われるのだと打ち明けた。
誰でもあるわね、そんなこと。私はあっけらかんと言いきって励ましたのだが、なんとそんな状況は私のことでもあるのではないかと内心ぎょっとして暗くなった。
今、年齢的には更年期障害の真っ只中である。何事にも心の動揺がある。なんと表現すべきかわからないが、病気のがんなども迫ってくるだろうし、美貌も衰えてくるだろうし、この先良いことはなかなか考えにくいのが現実である。しかし、そんな中でも頑張ってできるだけおしゃれをして美を保つ事がわたしのモットーである。しっかり大地を踏みしめ、今やるべきことをやっている。気を司どるのは脳のなかでも前頭部、額に近い所であるらしい。気配りや思いやりや気がつく能力などはその部分のポテンシャルなのだ。経営者はよく気がつく人が多いという。神経がこまやかで行き届くのだとか・・・。経営者ではないが、女優の吉永小百合さんなどは、あの年で随分磨いておられるから実に綺麗であるし細やかである。先日服部マコさんにもお会いしたが、あかぬけして美しいし会話の気配りがすごい。殆ど相手の心を感じながらお話しなさっている点が、前頭葉の発達を感じさせる。
やはり、目標を持って生きる素晴らしさがある。登りきってもいないのに下り坂とは、今流行の綾小路きみまろさんのネタであるが、私など全くそのとうりであるから可笑しい。
綾小路さんの上り調子に是非あやかりたいと思った。彼は謙虚なのが本当に美点だと思う。苦労や下積みを経験した人でなければ かもし出されない魅力なのだと思う。さあ、私も謙虚に努力しよう。更年期に負けないぞ!!

奥寺優子


2003/6/17

お客様の悩み

顧客のウオンツやニーズや問題 課題をソリューションすれば 必ずそれは弊社の問題解決にもつながると信じてきた。このところの不景気で 顧客はどのようにして顧客の創造をしておられるか 切に知りたいところであった。以下 調査の結果である。

1 ある複数の工務店様達の悩み
仕事を不動産屋から請け負ってきたが このところ 超激安建築屋の台頭やローンがおりない施主があったりで建売が売れ残ってしまった。しかも その不動産屋とは建物が売れてからお金の支払いという条件で請けている為 全く回収ができず 仕事さえ止まってしまった。今後遊んでいるしかなくて大変困っている。仕事より回収に走るしかない。他の工務店はどうなんですか というご質問である

2 別の工務店様の悩み
仕事が忙しくて休む暇さえない。営業が社長一人で 後は工事の職人数人で管理ができない。
知りあいには頼んで臨時で雇用しているが いつやめるかわからない。 あまりに多忙で
納期がかかり、ちょっとした最期の仕事のきりがつかないためお金の回収ができないでいる。
そんな中でも 打ち合わせが生じてまた新規の施主のところに出かけなければならないので
資金繰りが苦しい。それでも 常用の人を入れないのは 以前 雇用したらぱったり暇になって
仕事が切れて ますますひどい状況になった経験があるので 今は多忙でも我慢している。

3 ある工務店様の悩み
仕事を取る為には相見積でも戦って挑んでいくしかない。今まで職人に経費を食われて赤字だったので リストラして少し身軽になった。しかし、それにしても熾烈な価格の戦いで なかなか案件をゲットできない。やっと相手の価格を下回ることで仕事を取っても 業者に追加請求されたり、メーカーや業者も赤字では引きうけなくなって来ている為 結果としてしわよせが弊社にきてまた赤字である。それでも次の仕事を前向きに取っていかなければ 借金が返せなくなる。
メーカーは大規模店には直売して安売りして競争を激化させているので 我々零細工務店は 価格競争と資金力で負けてしまう。

4 ある工務店様の悩み
忙しく 打ち合わせに伺う毎日だが 仕事が細かくて まとまった売上にならない。何度か
そんな小さな仕事を我慢して請けていたら ついに長い間待っていた全面改築の話しになったお宅があった。当然 自分の会社だけにご指名仕事かと思いきや とんでもない株価の倒産寸前の大手と相見積だった。結果として 随分下請けに頑張っていただいたのに 到底できるわけもない低価格で その大手に美味しい仕事をかっさらわれてしまった。一体何なんだと思っている。 

以上 他にもいろいろあるが 大体現状は このような感じである。大手との価格の差はネットベースでは たかが10パーセントくらいであるから コスト積み上げ方式でいくと 零細工務店は十分勝ち目があるはずである。何故なら 大手は広告宣伝費と人件費で20パーセントは積みあがるからである。ただ、今 大手もリストラでかなり販売価格が中小と競り合ってきており マス分譲となると 資金力で安い。そこで 中小が戦う方法は どこにもない付加価値をつける事である。いわゆるデザイナーズ住宅という「センス」で販売する事である。あとは 施主にとっての価値、メリットを何か考えつき そのメリットを追求する事である。
施主がもっとも喜ぶ事は何か・・・これを求め続ける事が勝因だと思う。

奥寺優子


2003/6/17

このパースには愛がある

3年前のことである 
メーカーの人にどう言う訳か 介護ビジネスの社長を紹介された。多分これからは介護ビジネスが リフォームのビジネスと結びつくに違いない、アフイリエイトされるというメーカー担当者の読みだろう。弊社にとって 当時の得意とする戦略はパースしかなかったので 私はとりあえず 直近に書いたパースをその社長に プレゼンテーションした。
すると そのパースを見ながら社長が 突然嗚咽し、大粒の涙を流したのだ。
「このパースには愛がある」と確か そうおっしゃったように記憶している。私とメーカーの担当者は驚いてうつむいて 社長のお顔を直視できなかった。私は恥ずかしくて 嬉しくて どう対応したらいいのか まったくわからなかった。そうしてどぎまぎしていると 社長が立ち上がって 私に握手を求めたのだ。
こんなに 努力していらっしゃる事に 感動しましたと・・・。
わたしこそ この拙いパースを こんなにも誉めてくださって感激ですと応えた。
私のパースは コンピュータとしては 足りないものである。いろいろ表現が難しくて 仕方なく 心を込めてパソコン上で手書きをしているのだ。
このお家は どんな家族が暮らすのだろうか カーテンはこの色で ソファはゆったりと など想像しながら 手書きするのである。すると 私のパースはPCではない手書きの優しい表現ができたりする。もちろん どこか線が あいまいで 頼りない事もあるが 完全な PCのクールな線ではなく、手書きの水彩画のようなでき上りになるのである
3年前のある初対面の社長の忘れられない涙を私は永久に心に刻んでおこうと思った。

それから3年 お客様にはもはやパースだけでは 独自性がなくなっていった。
不況は 大変な荒波となって お客様を悩ませ 私の心を苦しめてきた。どうしたら
お客様が 喜んで幸せになられるのか・・・次章は お客様の悩みをリサーチする。

奥寺優子


2003/5/10

ホームレスとマイホーム
明け方5時 突然 台風の夢で 目が醒めた。 私はホームレスではなかった事に感謝したい気がした。現実の外はひゅうひゅうと風音がして、サッシの障子がカタカタと小刻みに鳴らされていた。もしホームレスなら どうして過ごすのだろう。車の中か?
最悪の場合ゴミから拾った毛布に身体を包み込み、ビル街の隙間に身をうずめるか、風を避けて建築中の現場の覆い隠されたシートの中に入り込むか、知恵を振り絞って居場所を獲得するしかない。朝まではなんとか それで凌ぐだろう。しかし、外が賑わい明るくなったら人目を避けて見繕いをしなければならない。若ければホテルのロビーに立ち寄り、トイレで少なくともOLっぽい容姿をして傍目にはピリッと演出することも可能である。それが上手く行ったらファミリーレストランで一番安い食事を摂るか、そのお金がなければスーパーの試食コーナーを廻る。何軒かできるだけ顔を覚えられぬような距離まで歩く事が必要だ。ホームレスとて働く必要がある。夜、食器洗いか何かのバイトをして最低の日給を稼ぐ。そのとき人に困っている零細企業を紹介してもらう事が肝要だ。うまくいけばアパートくらい保証人としてアッセンしていただけるかも知れない。しかしそれも条件は若いうちだけである。老いたらホームレスは最も惨めである。
 あれこれ想いをめぐらしているうち 何でこんな想像をするのか可笑しくなってしまった。しかし、この世相である。似たような人々が巷に 沢山いるのだ。そうしてみると人々にとって住居が如何に大切か思い知る。それなのに土地がまだまだ高く、良い建築が建てられないという現実があるのだ。ホームレスは極端な話しではあるが、マイホームレスは普通に存在する。私は建築業界の一人としてできるだけ多くの方々が、より良いマイホームを建てられるようになったらと願っている。借家法の改定で今は借りている人の権利が比較的軽い。一人暮しの老人がアパートに安心して暮らせる環境は少なくなっている。
若いうちにとにかく蓄えておかなければ、悠々として暮らせる老後は無いのである。その意味で蟻とキリギリスの喩えにあるように 若いうちに勤勉に働いてコツコツ老後資金だけは貯めましょうと諭されているのだが 人生は誠に不可思議でどうもそのようにばかりはなっていない現実があるようだ。働けど働けど我暮らし楽にならず じっと手を見る?石川啄木の世界である。できるだけどんな人にも住宅ローンが降りて、なんとか老後までには返せていけるような 政府の施策が欲しいものである。

奥寺優子


2003/4/4
忘れていた日記 
なにげなく今の生活を楽しむ方法  2003元旦のこと

 2002年の大晦日からの「朝まで生テレビ」を御正月の朝5時まで見ていたらいよいよ眠くなってベッドに入った。北朝鮮拉致問題や日中関係の討論で西尾幹二など専門家が激論を戦わせていたが、元旦にはあまり興味深いテーマではなかったからかもしれない。しかし現在そのテーマで議論があればイラクとアメリカは本当の戦争に突入してしまったから、眠るどころではないだろう。何故アメリカが突入しなければならなかったのか。いつの世も傷つくのは庶民であり、フセインではない。テロの仇撃ちというとわかりやすいかもしれないが、そんな時代ではないのだ。アングロサクソンはいつも攻撃的な人種だと思う。しかし、テロの被害者の当事者でなければ、憎しみは理解できないだろう。人間が平和に生きるためには、先ず他人への憎しみを忘れる事から始めなければならないという残酷さがある。
さて再び元旦の話しにさかのぼると、正月の朝は9時半まで寝ていた。しかし目覚めは比較的快適で、すっと身軽に身体を起こした。隣りのベッドの夫は何時まで生テレビを見ていたのか、まだ眠そうであった。私は起きない?と一声掛けたが、まいいかと思い直して自室の書斎で髪や洋服の身だしなみをして一階のLDKに降りた。さして寒くもなく、お腹がすいて不思議な感じだった。長い間、朝、寝起きに食欲が出るなど本当に珍しかった。会社の経営も思ったように利益が出ているワケでも無いし、受注不安は人一倍あるはずなのに、と自分の身体をいぶかしく思いながら、それではお雑煮でも作ろうかと、思い立ったのである。まずだしをどうするか考えながら、塩、しょうゆ、だしの素と入れながらいりこをひとつかみして入れた。具は大根としいたけ、キャベツしか無いから、それぞれ刻んで煮込んだ。
しいたけとキャベツだけは煮る前にごま油で炒めた。その時バターとお味噌を隠し味に少々入れて見たら、グッドだった。
調子に乗って次第にだしの沁みたスープをお皿にとって、コーヒーを混ぜてみたら、なんとイケルではないか。そして最後に抹茶玄米茶を濾して、加えて仕上げとした。このスープに焼いたおもちを入れて2階の夫を起こした。
評判はとても良かった。エクセレントだった。
しかし流石にだしの材料はグルメの夫でも言い当てられなかった。鶏でも入れたの?と言った。
今年は珍しく。私のお手製のお雑煮だったが例年は作らずレストランで乾杯なのだ。がやはり不況の影響で 預金の定期積みたてを増やそうと年初 決意したので、手作りにした。たまに作ると結構美味しく作れるものである。研究心で作るし、なんとか美味しく食べさせたいという思いが、そうさせる。おたまを口に味見しながら、私も今まで贅沢したものだとふと反省した。でも これで毎日義務的に作ると、きっと嫌になるだろうなとも想った。
もっと自分がくいしんぼだったら、違ったのかも知れないと思いながらリビングに配膳したのだった。
 さて、リビングのインテリアは去年大晦日に変えた。丸いテーブルの上にブルーのありあわせのクロスを掛けてみたら、掃き出しの白いレースのドレッシーなカーテンにフィットして素敵だった。テーブルクロスの上に真っ白いオーガンジーの薔薇をアレンジして浜屋ガラスの清水さんから頂いていたブルーのお手製の花瓶に活けた。思わず、わーっと歓喜の声を出していた。さりとてここまでは素人のインテリアデザインだ。私はテーブルクロスの上に、またやや明るめのブルーのシートを三角に何枚か変形にカットして、アンシンメトリーに置いた。その上に先ほどの白い薔薇のアレンジを置きなおすと、また見違えるようにモダンになった。そしてこれはどこにもない私だけの作品なのだと思った。
日常生活の中で ささやかに楽しんでゆくインテリアの方法はこのように気軽にいくらでもある。色のトーンで楽しめばそんなにお金はかからずに素敵である。私などありあわせのものでおおいに楽しんでいる。
なにげない生活の中に 楽しんでいく術はある。お金もゆとりも無くても感性の中に何かがあるはずだ。多忙で旅行どころではないし、有事に備えるためにお金も使えない零細企業経営者にとって、ささやかなインテリアや料理の工夫は生きる楽しみになる。
だが、今戦時中のイラクを思うと気が重くなった。イラクの人達は今を楽しんで生きられるだろうか。それでも何かをささやかでも楽しんで欲しいと私は願うのである。

奥寺優子


2003/3/2

生き残りの視点

企業間の激しい淘汰が今後3年位は続くだろうが、大切な事は常に自分の会社が現状置かれている位置を正しく認識する事である。そしてその位置は消費者にとって必要なものか、価値があるものかよく謙虚に考察する事である。建築業界においては何の付加価値も無い会社の中抜きが進んでいるがこれは自明の理である。
今まで人情でとか、お付き合いでのみ取引していたものが不要になる時代であることを冷静に客観視する事、切り口を変えてみること、即ち消費者からの視点に変える事が大切である。そう思ったとたんに我々はすべき事が見えてくるであろう。
 しかも、世の中は単純ではない。ITと騒がれてもやはり、足しげく通われて痒い所に手の届くサービスを提供してくれる会社が大切なようにだ。それが証拠にセルフガソリンスタンドは日本では流行らないようだ。私なども車オンチなのでセルフには行かない。同業の会社でも廃れていく所とはやる所の違いはサービスの違いである。例えば私などはパースを作成しているが、パースそのものは施主にとって必要不可欠であっても、10万や5万のパースは通常要らない。一番欲しいのは打ち合わせでパースを元にイメージを説明していく契約前の段階である。つまり迅速で安いパースが一番求められていると私は考えている。プレゼンテーションに時間とお金をあまりにつぎこむのは利口ではないだろう。また生き残りの条件には プロとしての提案能力が最も大切だと思う。顧客が最も困っていることを見つけてお手伝いする事が顧客価値CVだと思う。
昔,問屋は生き残れないと言われたが そんなことは決してない。問屋はメーカーがやれないサービスをやることで生き残れるのである。弊社もしっかりと問屋がついてカヴァーしてくださっている。
アウトソーシングは人件費と考えれば安い。プロとしての最高の提案をして下さるし人件費が物と比較すると高いデフレ時代には必要な時だけ来ていただく方が合理的であるし、いつ首になるかわからないアウトソーシングを競争して取り入れた方が安く済む。
 今後2003年以降の問題は あふれるオフイスの問題と消費税アップの問題で先行き不安が否めない事だ。ガソリンの値上げや金利アップの可能性、戦争など・・・全く未来は読みきれない。
仕方ないから身の丈の経営で あまり大きな冒険はしないようにするしかないのかもしれないがそろそろ資金を借りてチャンスを待ち構えながらプールするのが得策かもしれないと熟慮する時だ。
先ず,激動の時代に生き残る事。そして猫が狙いを定めて姿勢を整えるように準備する。準備には人の養成たくましい人を育成する。それが大切だと思う。

奥寺優子


2003/1/14

赤羽駅前焼き鳥屋での営業活動

夕方、埼京線で新宿から乗りこみ赤羽駅前に着いた。
普段は夕方のラッシュも赤羽駅で多くの人々が降り、電車の中はその先ゆとりができる。今日はいつもは通りすぎているそんな赤羽の繁華街を営業しようと試みたのである。駅前は 地方の小都市を思わせる光景が目に入る。あまり名のとおっていない洋品店や不動産屋、そして殆どが食品店か寿司屋である。リフォームの必要なさそうな店舗ばかりが並んでいて、うなった。 ま、いいかと気を取り直して厚かましくも各店内に入った。マドマルというものですが、パンフレット置いていきますのでご覧になってください。そうやっていくと、各店員はチラシだけを見て、あまり反応が無い顔をしている。私はその顔を見ながらどんどん次の店に入る。ひととおり撒いたら、いい匂いが私を誘った。焼き鳥やである。大体チラシまき営業は、すぐその場で決まるなんて事はまずあり得ない。だから気楽に撒いた。要するにマドマルとは何ぞやという宣伝に過ぎないのだから。焼き鳥屋の20代のお兄ちゃんの「いらっしゃあい!」 威勢のいい挨拶に、ふと我に帰った。
まだ チラシ半分残ってるからもう少し撒いたら、また来るね。とお兄ちゃんに伝え自分の働きの悪さに自分が恥じた。そして踵を返して50軒くらい撒き終わって、再び焼き鳥やの前に来てしまった。その時、年のころは50代くらいの叔父さんが「モツ 4個 ここで食べていい?」とお兄ちゃんに聞いた。「ああ いいっすよ。」私は後ろで二人の会話を聞いて安心していた。叔父さんがここで食べるんだったら、私も1個レバーを食べよう。お土産に何個か買うと電車の中で冷めちゃう。・・そう思った。レバー一個頂戴!ここで頂くわ。すると叔父さんが 「気分がいいんだよ 匂いをかぎながら食べるのはね。ついつい つられて来ちゃったんだ。」と私の顔を見てにっこりした。私も、そうですよねえと話しをつないで、「寒い時は最高ですよね。」と言いながら パンフレットを差し出した。
「なんだ なんかあるなと思ったよ。美人にゃ気いつけろって友達に言われてたけど本当だよね。セールスかよ。」ちょっと警戒したそぶりだったがそれでも悪くはなさそうな顔をして、チラシはおずおず受け取った。「そうか窓のリフォームかノルマがきついんだろ?」と言いながら「俺は税理士なんだけどね」と切り出した。私はすかさず 「今景気が悪いから顧問先もつぶれるでしょ」と聞いたら、「そう沢山無くなったよ。去年は1000万ひっかかったね。」とぼやいた。私が「そう言えば埼玉で最も大きい建築会社がつぶれたんです。S建設です。」と言うと 税理士さんは 急にびっくりして「 え!」
「あのS建設!? 実は、仲間が入ってて、俺にやらないかって誘ったんだよ。俺断ったんですけどね。良かったなー!!」と随分驚かれていた。そして帰り際 「いやパンフレットもらったけど、良い情報ももらったよ!」 と大喜びであった。私にとってもまた、屋台の焼き鳥屋でのこの出会いはとても庶民的で気分が良くて暖かいひとときだった。

奥寺優子


2002/9/27

危険から自分を守る

拉致が行なわれた事実を考えるとき、そして国家、外務省も何の助けにもならなかった結果を見るとき、 私達は一体 誰を頼みに生活していくべきなのか 深く考えさせられる昨今である。
 拉致されないように非常に警戒をするしか今のところ手がないかもしれない。 かつての大統領夫人であるイメルダ夫人が 常にドレスの下に防弾チョッキ入りの下着を身につけていたように 日本人も極論で言えば そんなふうに注意する時代が来つつあるのかもしれない。北朝鮮はまだ戦時下の状態である。通常の考え方とは全く異なる。変な誘いに乗らないことと、 海辺に出かけない事、誘惑の相手の身元を確認する事が大切である。また 今 携帯電話で居場所がわかるシステムがあるので それを子供や従業員に持たせるのも 一手かもしれない。
 とにかく駄目な政府、国家と言えないような体たらく日本の姿を見るにつけ 自分の事は自分で守るしかないと心を引き締めている。国家対策の全ては 事故が起こってからの対応にしか過ぎない。
医療事故 あらゆる原因の殺人 誘拐拉致 食品事故 原子力事故 その他もろもろ この国は予防学 リスクマネジメントが非常におぼつかない。政府に信頼がおけない事が 残念である。
仕方なく 自分で気をつけるしかないという現実である。

奥寺優子


2002/8/25

人生好きな事をやれば良い 勇気を出して

時々「もう主人と離れて暮らそうかと思ってるのよ」と私と同年代の共働き女性が愚痴をこぼしに来る。また始まったと私は心密かにただの繰言だと考えたのだが 聞いてみると結構深刻だ。
1夫婦の会話が無い事
2すれ違いで行動を共にしないこと
3夫婦間に緊張感がなく 特に夫がおしゃれをしないでまったく色気が無い事
4会話をかわせば喧嘩になること (喧嘩の理由はお金 女性 お酒 その他)
などなどである。これなどはそれでも大した理由ではない。加えて夫婦の暴力などがあるとさらに深刻である。人間 夫婦の事を乗り越えなければ まず前に向かえない。 いろいろ目標を持って努力していけるのも家庭が充実している事が基礎、ファンダメンタルである。建築だって基礎がぐらぐらしていたのでは落ち着いて住めない。また地盤や基礎を調査しなければいくら良い設計をしても全く意味が無いのと同じである。
客観的によく考えて 夫婦が別れるとどうなるのか メンタル面と物理面と両方シュミレーションしてみると良い。それぞれのパターンがあるので一様では語れないだろう。案外 愚痴こぼしでメンタル面を解決すれば何の事もない、ただの感情の変化だったりする事が殆である。みんな別れた後、結局気になって前の主人のめんどうを時々見に行ったりするものである。しかし、世の男性に言いたいのはもっと妻に関心を持ってあげて欲しい。見飽きているのはお互い様なれど 異国では自分の妻に毎日声をかけたり くすぐったい愛の言葉をかけたり、嘘とわかっても 更年期障害で毎日が辛い妻にとっては嬉しいものである。また自分の事にもっと刺激的におしゃれをして欲しい。中年男性は一般論だが 毎月100万稼いでも 一緒に暮らすのが嫌なほど不潔な男性が多い。 髭もそらず、脂ぎっていて身体が匂うなんてもってのほかである。お風呂は毎日入って欲しい。しかし、女性でも不潔な人がいる。 トイレに入って手を洗わないとか流さない人などそんな事を目撃するとショックを受けて吐き気がする。以前 公衆で一つしかないトイレで、前に使用した人が流さず、汚物を散らしていたので私は そばにあった掃除道具で思わず掃除したが ほとんど吐きそうな気持ちだった。逃げ出せなかったのは 私の後に待っている人がいたからである。
 さて さまざまな夫婦の事が解決したら ゆっくり自分を見つめてみよう。
何をしていたら快適か 何が人生の目的なのか 生き甲斐なのか それをA4の紙に書いてみることだ。その事を中途半端にしてはならないだろう。これは徹底してやらなければ駄目である。
1自分は何が得意だろうか
2自分は何をしていると快適だろうか
これが明確になったら それをして生活が成り立つだろうか
成り立つようにするにはどうすべきか と どんどん落としこんでいく。そしてその事は死ぬまでできるだろうかと考える。どうだろうか。 結局 好きな仕事で生活が成り立つように努力する事 これが結論である。
その為に 勇気が必要であろう。下記の勇気がキーワードである。
1行動する勇気 2責任を取る勇気 3 収入の大幅ダウンを覚悟する勇気 4面子を捨てる勇気 5 言い訳をしない勇気 6泥にまみれる勇気 その他 いろいろ 苦しそうな内容ばかりだが 乗越えた時に幸せが 何倍にもなって返ってくるであろう。
(注)引用は落合信彦著 勇気の時代より

奥寺優子


2002/7/2

摂理を越えた行為は人類を滅ぼす。

私達 人間は何にも気にせずに 牛や豚を食べて 動物性たんぱく質を得ていた。恐ろしいBSE 狂牛病とやらが発見されていたにもかかわらず それが人間には感染しないという思い込みのもとに何年も放置された。 BSEに侵された牛を飼料に加工して その飼料を食べた他の動物からまた他の動物( もちろん人間も含めて)という食物連鎖からついにBSEがいくつか目立って発症した。恐いのはこの病原体は ある種のたんぱく質、動物性たんぱく質なのだが 核酸を持たずに あるいは核酸が他のたんぱく質より 極端に小さいか不明なのだが それでも猛烈に繁殖し ガンのように自己成長する。そして脳を侵し、脳がスポンジ状になる。小脳が侵される為 個体の運動能力や言語能力 口蓋の役割を阻止してしまう。また恐いのは 個体にそのプリオンに対する抗体ができないため 異物とみなされていないで看過されてしまっていたことだ。そもそも我々は 哺乳類として同種である牛や豚の肉を必要以上食してはいけないという神からの警告を受けているのかもしれない。
ニューギニヤの僻地にフォアと言う所がある。昔は 人食い人種が住んでいるので近寄らないようにと 異国の人は教えられて訪問者がめったになかったところである。彼らは人の遺体を食べる習慣があった。そして特に女性が食べた。親戚縁者が死を待つ状態になると私のこの肉を貴方にあげるからという遺言を残す。焚き火のようにして死者の遺体を取り囲み 鋭利な刃物で手や足を切り取る。内臓も豚を解体する要領で簡単に処理する。
フォアで奇病が蔓延しているというのでオーストラリア人の医者が こわごわ訪問し、そこの女性に何故人肉を食べるのかインタビューしたら 「おいしいのよ なんでこんな美味しいもの食べちゃいけないの」と言ったという。 病に罹った人は殆んどが女性で 体が震えて筋肉が動かなくなり、口蓋も働かないので 食べ物も呑みこめない。言語も明確に話せない。時折、意味も無く笑っている。これは脳の障害だ。医者は すぐに死亡した女性の脳を取り出し 脳がスポンジ状になっている事を発見した。この恐ろしい致死の病原体プリオンはクールーと名付けられて研究が始まった。プリオンは 360度の熱にも耐え ホルマリンという強力な殺菌剤のなかでも死なない。冷凍しても死なないのだ。プリオンはウイルスであるという説もあるが フォアでは その後 人肉を食べなくなってからこの奇病が減少したという事から人食いとの因果関係が確実視された。
われわれ人類は 今 警鐘を鳴らされているのかもしれない。
クールーという奇病は 人が人を食べるという共食いから発症しているし、BSEは 病気の牛を解体して飼料にして健康な別の牛に共食いをさせた結果 発症している。そしてそれが感染していく致死の病気である事は 人類にとって重大問題である。
 エイズという病気も そもそも動物と人間の交配が原因という噂が流れているが、同性愛者から発症している抗体のできにくい異常な病気であったことからも 神の采配を人間が仕切直してしまうという摂理を越えた行為は 必ず天罰が下るのではないだろうか。さまざまな遺伝子を交配させる行為は 病気を治すための目的にだけに限定して 死者の遺伝子を残したいとか欲望が目的ならばやめてもらいたいものだ。 

奥寺優子


2002/6/22
自分の作品を作ろう

日本人には創造性が失われたと言われて久しい。確かに教育の中身を点検すると 暗記ものがほとんどで 考える教科 例えば生化学や物理などの人気が少ないらしい。それでも問題意識を持った人達が尽力してなんだか 学校の週5日制などちょっと角度の違う手法で ゆとりの教育が実施されてきている。 これはどうなるのか 将来の日本人は平均学力レベルが低くなるかもしれない。しかし、勉強の好きな子は誰かに言われなくても 自分でとりかかっているし、場を与えるとか与えないとかの問題ではないので この結果については 単に私は想像するだけである。
 さて 創造力とか想像力とかは 人間の頭の前頭葉の中の右脳がつかさどるという。頭の中で図形イメージを描いたら右脳の働きが良くなるのだ。また、論理的に思考するのは左脳がつかさどるので 右脳はイメージ化をして創造する。よくアルツハイマーになる方は 左脳ばかりを酷使して 右脳をバランス良く働かせない人だそうだ。つまり、論理的な思考力を持った人 文字を読む人,計算などは 左脳を使っていて、図形でイメージしたり想像して組立てたり判断したりするのは右脳を使っているのだ。人間は左右の脳のバランスを良くとっていく事が健康の秘訣という事だろう。
 右脳を働かせるには 自分の作品を創ることだろう。モデルを組立てて完成させたり、お花を活けたり 絵を描いたり、場面を想像しながら文章を書いたりするのも良いだろう。そして自分が完成させた作品を発表し、評価や批評に晒されても平気で淡々としていると良い。日本人は一般的に他人の作品に対して 暗い評価をしがちである。それは嫉妬や羨望なのである。それに負けたら創造する事が減少する。とにかく自信を持って自分の作品を作ろうではないか。

奥寺優子


2002/6 /10
日本人になりたかったグロータース神父の自伝

私の悪い癖で一句一句じっくり読まないのは読書をする時、速読の癖がついてしまっているからだろう、少し反省している。彼は1911年生まれのベルギー人で外国語、フランス語、英語、オランダ語 中国語、日本語と多彩な言語学者であり、しかも実際に口語として話せる人なので特異な外人なのだが神父という職業に私が全く関心がないせいだろうか、細かい部分の記述については斜めに読んでしまった。
それでも彼が4歳で、戦争中、1915年頃、飛行機から爆弾を落とす時にはパイロットが操縦席から手で投げたので命中率が悪かったとか、第2次世界大戦の終わり頃に中国で出会った感じの良い日本軍人が鈴木さんと言って、その人が山口県萩市の出身だったとか(今 萩で果樹園を経営しておられるというが私の故郷が萩であったから)興味深い記述のみ目をとめて読んだ。彼は37歳で来日し、日本の質素さや、日本の文化に興味を持ってついに現在まで日本に居住し、お墓まで買ったというから驚く。純粋な日本人である私よりずーっと日本が好きである。方言も詳しい。例えばものもらいの事を九州の西部の北の地方だけ 「いぬくそ」 と言うとか、お味噌汁が薄いことを 「しょうむね」と言うのは能登半島だけだとか結構勉強になった。彼は65歳まで自転車で日本の北から南まで全国ハイクしたりして、さまざまな日本人の生きざまを見聞きした。素晴らしいと思う。私などいつも経営か何かに追われて生活で一杯なのだから少し羨ましい気持ちになった。いつか全国を旅行してみたいものだ。子供の頃には気がつかなかった日本がきっと見えてくるだろうから。

奥寺優子


2002/5/25

レストランの売上目標戦争と建築業の違い

不況の今でも かなり業績が伸びているレストランがある。
そこではアルバイトが社員に抜擢されるときや給料アップの交渉の時は社員及びアルバイト全員で会議をして決める。そこには役員はいない。
あるアルバイトの社員が時間給を1100円から1300円にアップして欲しいと会議にかけていた時である。申し出の男性に対して10歳も年下の女性が 「貴方には時間給1300円はあげられない。もっと早く対応処理しなければ駄目です。もし本気で言ってるなら今日から指導しますよ。1100円でも適当ではないと私は思っているのよ。」と本人を慮るような気持ちや遠慮や配慮などまったくない態度で直接的に仕事ぶりを批判していた。そして最終的に挙手で彼の時間給の申し出を受け入れるかどうか多数決でその場で決定することになった。全く恨みっこなしである。結果は大多数が拒否でもとの1100円で治まることになった。男性は納得し、再び自己研鑚を始める。過激な競争の論理を真正面から行なっている会社なのである。これで不満が全くないとはいえないだろうがある程度納得のいく手法であると社長は満足げであった。さらに、お店の店長になると前任者の売上を必ず越さなければならないので大変である。ある店長は前任者のときより売上が落ちて、悩んでいた。しかし、どうにかして売上を上げなければならないと自らに発破をかけていた。そしてこの競争が辛いと言う人は脱落の道を歩むだけなのである。それは年齢や経験など無関係な弁解のできない完全なる能力の戦いの世界なのである。こういう世界はまず、接客が好きである事、気配りができる事、常に他人を見ることのできる人、永遠なる戦いが好きでなければならない事と永久なる体力の保持が必要である。体力がなければまず持続が難しいだろう。そして何よりも接客が好きでなければこの雰囲気についていく事はできないだろう。
羨ましいのは こういう戦争状態が 経営者の外側で行なわれている事である。経営者は直接 この修羅場にいない事である。つまり、結果と言う数字だけで経営者が冷静に判断できる事が素晴らしいのである。我々建築業のように一人一人が職人となるとこんなわけにはなかなかいかないし、単にお客様に目一杯尽くして大量に売れば良いという画一的なデジタル的な問題に落としこむのは 無理がある。これをいかにそうして行くかが課題かもしれないが一般には売れば売るほど借金が増えていく事が多い。そして蓋を開けてみたら不良債権の山だったりして全く恐ろしい。日本の縮図はまさに我々の業界なのである。建築関係や金融は売り掛け債権を担保する仕組みがしっかりできていないと思いきり販売戦争に走れないのである。
奥寺優子
2002/5/7

花のある生活

お花で運気を取り入れるにはもちろん生花が最も効果的なのだが、多忙な現代人が生花を毎日のように取り替えて、ぬかみそのように管理していく事は大変である。特に私のように何十年も働きながら家庭を管理してきた共働き女性は特に感じるのである。あっと思ったらもう可愛そうに枯れてしまっている生きたお花の哀しさ。人生を凝縮したみたいで空しい。それが良いというマメな人も当然いるのだが、並以上に世間で揉まれてきた私には心に余裕がなかったと言える。そこで気がついたのがシルクである。シルクアートのお花は生花と比べてより特別なアートを楽しむことができて、しかも運気も呼ぶ。シルクの分子は塩酸をかけて分解すると食べることもできるのだそうだ。つまり、身体に悪くは無いという事である。遠い昔、シルクロード(ザイデンシュトラーセン)と呼ばれた中国からの蚕の絹のルートはヨーロッパに莫大な富をもたらした為、ヨーロッパの貿易商は企業機密にしてインドからのものだとかルーモアを流したものである。シルクはそれだけ昔は貴重品だったのである。今や蚕の人口飼料が蚕の餌であった桑の分子研究が進んだために可能となり、シルクは昔よりは多く生産されるようになっている。私は中国からの輸入の花材で シルクアートのお花を楽しみ、心が豊かになった。毎日仕事が終わると、すぐシルクアートの作品造りに夢中になるのである。
そうしているうちにこれをもっと多くの人に楽しんでいただきたいと考えるようになってすぐにサッシの本業の隣りに小さなショップを作成したのである。大量に仕入れて販売するため今や場所が狭くなってしまった。今、お花のある生活を楽しむというささやかな幸せからもっと多くの方に心と身体の幸せをお伝えしたいとカラーセラピーまで勉強している。お花は見ているだけで心が和み、ストレスが散る。そしてお花の有る生活は笑いが自然とこみあげてくる。健康に気を配ること、貧乏でも哲学をしっかり持って倫理観をもって生きることが 人間にとって、特にお金の魔力に取り憑かれた現代人にとっては人生の価値を再考する意味で大切なのではないだろうか。

奥寺優子

2002/4/12/FRI

人生は理不尽 なれどバランスをとりながら最善を尽くす

この題名がまさに私の美学であり、厳しい人生を生き抜いていく原動力である。本を出版するまでは私は何度か深夜パソコンの前で嘆き、悔し涙を流した。こんなに努力しているのにと、うだつのあがらない不運を嘆いたのである。しかし、今以上の幸せや幸運を願った我侭さや厚かましさに神が呆れたのだろう。私は贅沢な幸せを求めてはならなかった。もうこれで、お前はお前の無能さから鑑みて十分なんだよと神が笑っていたのだ。自分がどんなにひとりよがりに努力していると思い込んでもそれは宇宙から考えたら馬鹿馬鹿しいほど些事である。努力の仕方が悪いのか、財産のない哲学者の先祖から生まれた事が悪いのか、要するに夫を含めた全ての他人に 何も求めてはならなかったのだ。全ては運命なのだから甘んじて受諾せねばなるまい。そう思ったのは最近のことである。私は幸せを求めないで真実の生き方を求めなければならないのだった。それが逆に幸せへの近道だった。真実、それは人生というものは理不尽で不条理であるという事を納得しながら生きることなのである。

美しい経営は私の理想であり、正義だと勝手に思い込んでいたがこれだって正義ではない。正義は100人いれば100通りある。何が美しくて何が美しくないかはマジョリテイが考えるように全般的には正しいかも知れないがカイン(マイノリテイ)にとっては迷惑な話しであろう。瀬戸内寂聴さんの人生相談で衝撃的な例があった。それは不倫の末、相手から裏切られた女性が憎しみから、彼の妻子を焼殺してしまったのである。そしてその償い切れない罪への後悔と空しさから監獄で毎日眠れず苦しんでいるというのである。他人をこれほどまでに愛するという事は愛ではなく、裏返せば自己中心的な憎しみであり、罪は決して許されるものではない。しかし、悔いて毎日地獄のように苦悩しているその女性を他人がどう裁けるというのであろうか。殺された妻子は罪もなく、事故だと運命で片付けなければ誰も救われない哀しさ、不条理。これが人生なのかと思うがそうなのである。妻子を殺された男性は、これまたどのように今後の悔いの人生を歩むのだろうか。自分の創った原因におののく人生もこれまた心の中でどう処理していくのか。この例はあまりに極端な不倫の結末であるが、瀬戸内さんは獄中出家(生きながら死ぬ事)を彼女に薦めた。こんな生き方が美学か。本当は自分をこのように追い詰めない生き方をすべきである。不倫の場合、どんなに好きでも愛しても自分だけの幸せを求めてはならない。妻子がある以上、そんな人を愛するからには報いを求めてはならない。それが ひいては自分を傷つけない美的な生き方につながるからだ。しかし、それが正義だとは言い切れない。これはたまたま極端なケースだからである。また、世間的弱者、例えば、身体が不自由な人や理不尽にも寝たきりでいる人にとって美しく生きるとは一体どういう事なのか、心が美しくてもそれをどう表現するのかその術を持てない人にとって美しく生きよというこの言葉は残酷にひびくであろう。私はなんとマジョリテイ中心主義だったのだろうかと反省する。しかし、だからこそこういうマイナーな人々は心のバランスをとらざるを得ないし、多分とっておられるからこそ強く生き抜いておられるのだろうと思う。尊敬に値する。私はそんなに強くないからである。故に自分の中で健康に気を付けながら仕事のバランスをとるという事は理にかなっているし、理不尽にも身体を傷つけられてもそれはその事自体受けとめるしかない。受けとめて生きるしか術はない。

事業を営んでいて売上を求める人は売上がないと嘆き、焦る。売上はこれも天の恵みであると思えたらあまり嘆く事はない。しかし、その裏にはバランス良い努力をして最善を尽くしているならばという条件が要る。バランス良い努力とは何か・・・
それは無理をしないという事である。がむしゃらに売上を奪い取っても価格は適度にはならず、最低か、マイナスとなる。今の市場がそうではないか。決して無理をしないでベストを尽くせば適正価格で売上が生じる。それには、他社の爆弾や地雷を受けない事である。メーカーの自爆テロにも注意すべきである。あくまで今の時期は 様子をみながら家康のように振舞うのが利巧であろう。戦略を打って待つのである。待てない人達が空中分解するか、特攻隊で衝突し、累積赤字となって出血するのである。この意味は座して待てというのではない。宮本武蔵のように待たせて戦うのだ。
しかし、私の経営では直近の売上は少々難ありである。何をどうやったとしてもそれが正しいかどうかはわからない。結果は神のみが知るのである。人生は理不尽なものであるから。もう少ししたら結果が見えてくるだろう。慌てない事である。間違えば修正すれば良いのだからと考えている。

奥寺優子

2002/4/1/MON

死刑廃止論について

国家が被害者に成り代わり極悪非道な加害者を死刑に処すことは 至極当然のことのようである。世論も80パーセントが死刑制度を 犯罪の抑止力として賛成している。アメリカでも一時死刑を廃止した洲がその後急に犯罪が増加したために再び死刑を復活させた例がある。私も被害者の立場を考えたら死刑は熟慮ののちの判断であるべき制度ではないかと思う。判決以後加害者が深く反省し、反省している心を行動に移しているような場合は死刑は引き延ばし、慎重に対応すれば良いと思う。戦後民主主義の発展の中で冤罪事件や 誤認逮捕などは昔から比べてかなり減少してきている事、逆に現代の刑事訴訟法は加害者の権利を最大限に重視してきたきらいがある。本来、被害者も加害者も偏重なく人権を尊重されるべきである。山口県の母子殺人など少年犯罪は裁判官が難しい判断に迫られるのは理解する。少年である為、更正不可とはいいきれない事が難しいのである。
現在の加害者は反省の色のかけらもなく、被害者の感情を逆撫でしてしまっている。私が被害者なら公判中凶器を隠し持って加害者を殺すかもしれないほどの憎しみにかられる。しかし、やっとの思いでその憎しみを飲みこんでいられるのが死刑判決なのだ。被害者は愛する妻子まして、可愛い11ヶ月の赤ちゃんを殺されたのである。このご主人の気持ちは毎日ひとときでも憎しみを忘れる為に大変な思いをなさっているだろうと思う。この事が何よりも辛いのである。せめて加害者の気持ちが理解できるような状況がほんのカケラでもあれば被害者がその分少しでも憎しみから救われるのである。故に加害者は謝罪の言葉と行動をたとえ罪は許されなくても続けるべきなのである。だがそもそも女性と赤ちゃんという弱い立場に手をかけるような人間は先ず更正は相当困難であろうと思う。頭を坊主にして終身刑に処し毎日獄中の寺で修業させ生涯償うのが死刑を免れるとしたら唯一の方法であろう。本当は男という性を辞めてもらいたいのだが。残酷になるからこのへんにしておこう。
さて亀井静香氏は死刑反対論者である。ご自分が警察官だったから多くの罪人と接し、罪人といえども普通の人間だと感情移入があったり昔の誤認逮捕などの恐さから人命尊重の立場でおっしゃっておられるようだ。それも確かに正しいのである。誤認逮捕や冤罪の場合にはとりかえしのつかない事態になるから死刑は場合によっては執行をしないで延期しておけば良い。しかし、制度は抑止力として絶対なければならない。
つまり、私の持論は制度として残し、執行は慎重にということである。亀井さんのようにおおぴっらに死刑廃止論を訴えるのではそれを利用悪用する輩は必ず存在する。また、とっさに人を殺したいと思ったら殺してしまう人が増えるかもしれない。故に、死刑制度は残し、少しでも冤罪の疑いが後から生じた人間や危険な自白に偏った結審、自白しても反省の色の濃い人には死刑執行を延期するのである。

奥寺優子

2002/3/19/SAT

下手な延命措置は かえって不況になる

そごうの倒産のお蔭で三越や高島屋が一時的に忙しい事があったという。やはり巨大でも売る魅力に乏しい店は市場から去るしかない。それを下手に民事再生法などで 復活させようとするのは逆に業界にとって迷惑だろう。政府は何度も国民の税金の無駄使いをしてきたのに これを何回繰り返しても無駄だと私は思う。何故なら、需要がないということだからだ。今、現実問題として欲しい物が少ない。将来の不安が先にたち、欲しい物を節約する立場をとる。それは節約できるという程度の欲求であり、さまざまな生活環境がそうさせる。
車が欲しいと言っても車庫証明がとれないし、リサイクルしなければ環境汚染が・・と言われる。そして土地が下がり続けるというのであればもうちょっと待とうという気にもなる。また土地そのものも売買が少ない。供給側は高く売りたいし、需要者はもっと安くなるからという頭が働く。そこで売る側も よほど困ってなければ売らなくなる。供給過剰状態では欲しくなくなるのが消費者の心理であるし、現在 供給者に限界点が見え始めた。もうこれ以上安くはできないという悲鳴である。メーカーも次第に減産体制に入る気配を見せている。顧客を絞り込み、ターゲットにはずれた顧客は値戻しされたのである。それで良いと私は考えている。現在の不況は構造的なものだけではない。人口減少の兆しを考えなければならない。供給者の企業が少し位リストラしてもそれ以上に需要がなくなるので、供給業者がどんどん減少し、製品が市場からなくなると、初めて消費者が製品が高くなるのではないかと手を出してくるのである。そうなる時期は時間の問題である。だから消費者もリテーラーもメーカーをキーとして考えなければならない。これから減産が進み、品物が市場から消えていく。納期が今までより かかるようになるだろう。メーカーはコストダウンを猛烈に実行している。
今グローバル化も見直しされてきている。当然 適正なレベルまで価格は落ち着いてくる。人口が減少し、物が売れなくなって供給者はじっと指をくわえて見ているわけにはいかない。必ず需要に見合った調整が市場で進む。今はデフレだからと価格がどんどん下がるという単純な理論では済まないのである。中国進出政策も常に流動的に考えなければリスキーである。帰るべき後ろをきちんと整えてから進んだ方が固いだろう


奥寺優子

2002/3/19/SAT

癌にならないための最新情報

癌という病気は、体内の活性酸素が身体の細胞の遺伝子を傷つけて突然変異を起こし異常に増殖させることによって正常細胞を損ねていく。この活性酸素を減少させる薬がグルタチオンと言う物質であるが体内で作ることができるそうである。
体内薬を上手に増やすために、  
1グルタチオンは肝臓からできるのでその支援をする食品を食べること
 朝 生のスライスたまねぎを50cc摂取する

2各病気に対応する薬 
心臓病 ユビキノン これを投与すると70パーセント治癒する。朝9時にシャワーを浴びながら腹式呼吸をする。すると最も効率良くユビキノンが生成される。
細胞若返り HGH ヒューマングローホルモン 効率良く深い睡眠をとり 寝る1時間まえはエアコンを切る
痴ホ症 プレグネノロン スイカを食べる 特に種をかじって食べると良い
肥満症 レプチン 部屋の中に赤いものを置くことで刺激され効果的


2002/3/1/FRI

「ブランドなんかいらないを読んで」(著者 ナオミ クライン)

マクドナルドやナイキやシェルなどの多国籍企業が一体どのようにして膨大な利益を得ているのか理解できた。こんなに多くの低賃金の下請け、孫請けが彼らの製品の一部を造っているとは想像はしていたがやはり驚いた。彼らのグローバル戦略はまさしく膨大な利益につながる。例えばフィリピン政府はブランド企業を誘致する為、無税で素材を輸入し、製品加工を自国の貧しい青年特に少女にひどい低賃金で請け負わせ,海外に輸出する時も無税という優遇措置をする。下請けは各々競争で請け負う為に 賃金はますます非人道的なまでに下降した。働く少女の1日の賃金は10ドルに満たない。90年代の半ば、あまりのひどさに耐えきれなくなった一部の人や心有るジャーナリストなどが立ちあがり、大きな社会問題にまで発展させたのだが資本主義である以上、今でも是正は困難なものとなっている。しかし、1度ついた火種はくすぶり続け現在でも この問題はノーブランド運動となって諸外国、英国やフランス、アメリカ、カナダなどに広がりを見せている。恐らく遠からず日本でも問題視されるだろう。確かに建築業界では下請けの立場の私などが本を出版するなかで今まで誰も書いていない人々の立場から物申しているし、今後クローズアップされる事だろう。よくある事で済ませてきた古い感覚の人は物事に対する洞察力が足りない。長い習慣の中にどっぷりつかってきたこの業界の鈍い感性の持ち主は、諦めているのかもしれないし、こんなものだと思い込んでいる。明らかに時代が変わってきているのに何故わからないのだろうか。
ところで最近日本マクドナルドが上場したが この企業が時代の波に乗れているようでは食品業界も疑問だと私は考えている。第一、肉をスコップでかき回してこねている工場を見たら 誰が食べたくなるのだろうか。こんなに安くて身体に良くないかもしれない得体の知れない外国の肉を日本に持ってきて日本の菜食文化を損ねるのであれば反対である。みんなもっといろんな事に気がついて欲しいと思う。
最近そのダントツトップの話題は雪印食品である。日本のブランド企業も同じように地に落ちていると言えよう。今後、理念が無く、売上だけの企業マインドはほころびを見せていくだろう。その意味でこの本は面白かったし,今後の重大な企業の方向性を示唆しているかもしれない。
奥寺優子
2002/3/1/FRI

「常に何故 そうするのか考える 」

30年も前の事である。航空会社のカウンターでは我々カウンターマンが売上げした航空券をカットした半券、(会社用控え券)と顧客からお預かりした現金を同時に、壁を四角にくり抜いてあるキャッシャー窓口に入れ つり銭をそのキャッシャー窓口から受け取った。キャッシャーは、レジからお釣りを出してカウンターマンに渡していた。カウンターマンの動作については 合理的で疑問は然程生じなかった。しかし、自分がキャッシャーの担当になって無駄を感じたことがあった。それは航空券の半券を区域毎に仕分けする作業とお釣りのお金を出すのみで現金の出入りがないときはキャッシャーの仕事は手持ち無沙汰になっていたからだ。そしてキャッシャーは引継ぎの度に 半券の枚数を数え、一覧表に記入する仕事を最後にまとめておこなったため、お金と半券が一致しない時には引継ぎが遅れたり、煩雑になったりしていた。遅番のキャッシャーは最後にお金が合わないときには残業代を会社から頂きながら、いつまでも仕事をしている羽目になっていた。これは会社にとっても本人にとってもマイナスだと私は思った。そこで会議で提案をした。手持ち無沙汰の時間帯に半券を数えて一覧に記入すれば 一挙両得ではないだろうかと。するとすぐ係長が賛成して、次月、私の意見が実行に移されたのだが、急に要領よくスピードアップして仕事する癖がついてないせいか,私以外の他の人はミスが多くなった。そこでミスが多く生じるのでという理由から また元の木阿弥に戻されてしまったのである。
 私は、なんて馬鹿馬鹿しい理由だろうとその当時は思っていた。ところが、そのうち独立のため依願退社して何年後かして昔の会社に遊びに行った時、驚いた事に自分のアイデアが結果として取り入れられて 実施されていたのだった。大変嬉しく思ったものである。自分は正しい提案をしていたのだと認識した時は 随分誇らしい気持ちになったものである。常に効率と効果を配慮しながら業務改善をしていくという社員一人一人の心がけこそが企業の生き残りの条件だと思うのである。何故 何故、何故、現状を常に疑問視していく事が良いアイデアや発想を生み出すのだと私は思う。当たり前のようになっている事でもおかしいと思う事、無駄な習慣、そしてどこにでもある慣習だと諦めない事が重要である。細かい分析のひとつひとつが企業の利益と発展につながるのだ。

奥寺優子

2002/1/29/THU.

「マンションは廃虚となるリスク」

現実に起こった事件である。バブル期に福岡駅前5分の所にある9階か10階建てのマンションが 地上げの標的となり、住民は売れば価格が2倍になるからと言われ、どんどん売却して出て行った。従って居住していた人々が殆んどいなくなり、残ったのは頑固に立ち退きを拒否したコンサルタントの親子他2、3名だけであった。地上げで手に入れた所有者は山口県の某企業であるが、管理料金を支払えなかった為と管理会社が倒産していたため、先ず、マンションの電気が止まってしまった。すると必然的に水道も流れなくなり、居住者は水の補給にさえ困る事になった。それでも頑固な居住者はなんとか工夫して手造りで電気と水を配管し暮らしているが、廃虚と化したマンションは通路もゴミの山、駐車場も廃棄の車で埃だらけという凄惨さであった。内部にはならず者が数人入り占有している状態の部屋もあり、不良債権となったマンションは現在担保所有権が元、中坊さんがいた整理回収機構の手にあるのだが、全く手のうちようが無いという事であった。整理機構の担当者はいずれ解体し、建て替えしたいという考えのようであるが、住民の1人は等価交換ではなく、等面積交換を主張していて今後紛争となりそうである。しかしバブルの崩壊以後、どこの土地建物も価値が下落し、今や10年前より景気も悪くなって、人心は霏霏として寂しくなって元気がないのである。値下がりは付加抗力であるから、マンションにへばりついて居たマイナー達はこれも運命だと思ってほどほどにして現在の所有者に妥協してあげないと話しがいつまでたっても平行線で折り合いがつかないだろう。それに早く建て替えないと何よりも廻りの住民達に廃墟のマンションの存在は治安上迷惑だと思うのだがどうだろうか。

奥寺優子

2002/1/29/THU.

「保険診察医」

会社に私が万一の時に入金される保険(某生命の特許申請中のモデル保険)に加入するということで本日身体検査があった。医師は35歳から40歳前後であろうか、感じの良い先生だった。尿検査異常なし。つまり糖尿の兆しはなかった。血圧は110−60で正常である。今度は呼吸、上半身衣服を脱いで、吸ったり吐いたりして、これも異常なし。今度はお腹を触れてみますからというので、やや斜めに横たわり、先生が腹部を左右簡単にさわった。「はい結構ですよ 次は心電図を測ります」と言って接着テープのような紙をぺたぺた全身に貼りつけた。
「異常無いようですね ただ心電図はデータを持ちかえらないと詳細は不明ですが・・おおむね大丈夫でしょう。」
私は常日頃、身体検査はしていないため、保険加入時がチャンスだった。判らない事があって一つ質問してみた。先生はお腹を触る時、随分軽く触れていますが何をチェックしているんですか? 
すると、彼はにこにこして 「素人ではわかりませんが 肝臓の腫れをチェックしているんです。あと腹膜炎を起こして固くなっていないか、癌みたいなものがないか触れてチェックします。大きいものだったらわかりますよ。」と言われた。へえーすごいですねと私は感心した。とにかくなんともないということで良かった。ほっとしていると 「でもね肝臓は肝硬変みたいに悪くなっていると 隠れてしまう事もあるんですよ」と親切に説明してくださった。「ですが大体肝硬変の患者じゃ具合悪くてそうして立っていられないですよ。顔色みたらわかりますよ」。ふーんと頷いて私はご質問して楽しかったし何よりも勉強になって本当に得した気分になった。良い先生だなと思った。

奥寺優子


2002/1/10/THU 「ヤオハンの失敗について学ぶ」
1 安易な拡大路線に走ったため銀行借金より有利で潤沢なワラント債や社債の発行をした。故に業績 株価が低迷すると償還されてしまい、償還の資金繰りに追われてしまう結果となった。2 資金の使い道について甘さがあった。戦略は拡大のみで時流を読まなかった。ROE株価収益率やALM資産と負債のバランスについてノーチェックであった。それでも中国のように安い人件費で済む所なら当面は黒字もできただろうが、本部日本のリストラができなかった。また優良店は銀行が担保にとっているので手放せば当然銀行借金のみが返済され、社債の償還資金にはならなかったにもかかわらず、内部の構造改革よりその売却を優先せざるをえなかった。他にリストラ策はあったはずであるが、たぶん粉飾決算を見抜けなかった事から生じたものである。 3 情におぼれ、決断力が欠けた。経営を任せたつもりが、任せられた弟はあくまで番頭意識だったため、兄である会長に良い決算書をみせたかった。 そこで粉飾が起きた。会長がすぐチェックすべきであったが優秀な弟さんだったのだろう、そう簡単に見ぬけるような決算書を作成するかという事である。合法的な粉飾決算が日常的に行なわれやすいのは 全部原価主義をとって固定費を在庫の中に盛り込んでしまうやり口である。弊社は過去、全部原価の考え方をとっていたが、決算上ではそれをしなかった。資産でもないのに資産計上されるのはおかしいからだ。また在庫が無いので問題にはならない。4 人材育成ができていなかったのとノーと言える風土がなかった事も確かだが、社長自身がもっと拡大する前に立ち止まって足元の現状を把握するべきであったと私は思う。一般に販売の上手な人は経理はどちらかと言えばお任せであると言う。確かにそんな時に注意してくれる部下が欲しいと思うかもしれない。しかし、部下は偉大なカリスマ的な上司に何も言えないものである。また性格的に注意されていい気分にはなれないのが正直言って上場企業の社長ではないだろうか。どうしても自分はトップという気持ちがどこかにあるのだ。ただ、私のように経理も販売も両刀使いだと どうしても伸びがない。いろんなリスクを考え過ぎて拡大路線に二の足を踏んでしまうからだ。和田さんの勇気ある拡大のカケラだけでも学びたいと思う。
5 会社全体に奢りが見えた。奢れる者は久しからず。6ナンバーワンを無理に実現しょうとした。オンリーワンであり続けることこそ重要だった。誰も真似できないものを構築すべきだった事、アイデアや知恵が不足していた。皆さんに、他人事ではなく、よい反面教師としてこの本をお勧めしたいと思います。2002年 1月3日
「ヤオハン失敗の教訓」 著者・和田一夫氏 読後まとめ
奥寺優子


2001/12/19/WED.

「88歳の女性会長をみて」

九州のとある町で伊藤タクシーというタクシー会社がある。
昭和24年 36歳で伊藤さんという女性が始めたタクシー会社である。驚いたのは昭和24年という時代と5人の子供の母親だということだった。昭和24年は私が生まれた年であるが 当時の女性が経営者になるということは簡単ではなかったはずである。まして
5人の子供さんを育てながらである。尋常ではない。自分の経験から、推し量ると、よほどご主人が協力的で 手がかからない人でないと無理である。それにしても36歳から52年間ご苦労だったと思う。現在お孫さんに社長を譲って会長という事で時々会社に出社されるというがなんと言っても88歳である。自分に対して随分励ましとなった。
今の不況で鬱鬱としたり、快速電車に乗って年をとっていく我が社の専務を見て年を取る事への恐怖を感じたり 時折夢が失われたり,くじけそうになったりしていたが、元気を出さなければ恥ずかしい。皆さんも頑張ろう!
奥寺優子

2001/12/1/SAT.

「サイト開設のご挨拶」

社会生活の根幹に大きな変化をもたらす世界的規模のマーケットがインターネットによって誕生し、その通信技術や規模は目を見張るスピードで発展を続けています。コンテンツの多様化もよりいっそう複雑に進んでいます。このような時代変化の中にあって、女性経営者たちやこれから起業を目指す女性の方が、お互いに出会い、交流の機会を持てるような場を、利便性に優れたコミニュケーション手段を用いて提供しようと考え、平成13年12月、インターネット上に私設サイト「奥寺優子のビューティフルマネージメント」を開設いたしました。

サイトでは、「美しい経営」をテーマに、フォーラムの中心となる掲示板、女性経営者へのメッセージ、不定期の経営日誌、著書の紹介など掲載します。このサイトが「美しい経営」に共感する女性経営者たちが集い、各方面へ情報を提供できる発信基地となるよう、定期的な更新を行い、積極的な運営管理を目指してまいりたいと考えております。本サイトが皆様からご愛用いただけるよう努力してまいりますので、なにとぞご指導、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

奥寺優子

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